運営者情報

当ブログをご覧いただき、ありがとうございます!

 

ラジオファイル』を運営している、りーまんと申します。

 

当ブログのテーマは「ラジオ制作」について発信。

ラジオ番組はもとより、ポッドキャストや音声配信などの始め方について解説。

 

「ラジオ制作を始めたい方」「個人で音声配信を始めたい方」。

 

そんな方へ役立てる情報を届けます。

【運営者情報】りーまんのプロフィール

radio-leaman-pc

 

現在フリーランスとして音声コンテンツプロデューサー・ディレクターをしております。

 

中卒からラジオ番組制作会社に入社して10年勤務。

あらゆるラジオのワイド番組やスポーツ中継、ANNGなどの番組も担当してきました。

 

ポッドキャストプロデュースでは以下。

 

ポッドキャストプロデュース

ニッポン放送Podcast Station四千頭身・石橋の暗号資産勉強中

今、注目の『暗号資産』を身近に感じてもらうために、四千頭身 石橋遼大と坂本梨紗が、リスナーの皆さんと一緒に暗号資産について学んでいます!

パーソナリティ:四千頭身 石橋遼大

アシスタント:坂本梨紗

全12回のポッドキャスト配信まとめ

 

りーまんの経歴

ぼくは新潟県の雪深い地域の出身。

冬になると小中高では、アルペンスキーやノルディックスキーの授業もありました。

そんなぼくの経歴をご紹介します。

 

高校生の時に突然のできごとが

高校まではスムーズに育ちましたが、高校2年生の時に運命を変えるできごとが...

アイコン(遠くにいる)

 

それは『留年』です。

成績はクラスで常に最下位。

勉強して追試も受けましたが、出された判断は『留年』。

つまり翌年は一つ下の学年と、同じ学年になるということです。

 

ぼくが出した判断は『高校中退』。

今でこそ最終学歴が中卒な方は珍しくありませんが、当時は人生終わった感しかありませんでした。

 

「中卒だったら、もう会社員にはなれないだろう...」

 

そして無謀にも『お笑い芸人』を目指すという選択に。

 

高校を中退してお笑い芸人を目指し実家を離れる

高校を中退して『お笑い芸人になる』という無謀な決断。

しかし田舎の少年が芸人を目指す方法など知りません。

まいにち悶々として、とりあえず地元から離れれば、何かチャンスがあるのでは?と思う日々。

アイコン(ふて寝)

 

そんな時、隣県の専門学校に通っている一つ上の先輩が、地元に帰ってきました。

専門学校に通うため、隣県で一人暮らしをしているとのことです。

 

先輩が車で隣県のアパートに帰ろうとする時、ぼくは呼び止めました。

 

「連れて行ってもらっていいですか?」

 

先輩は当然「?」のはてなマーク。

しかし『こいつと一緒に住んだら面白いかもしれない』と思ったようです。

何も聞かずに「乗っていけ」と。

 

そのまま実家の自分の部屋から、段ボール2つ分の服を入れて荷造り完了。

実家に別れを告げるとき、なぜか父親から3万円をもらいました。

先輩の車でそのまま隣県へ引っ越して、ルームシェアをすることに。

 

高速道路に乗った時、車のカーステレオから流れていた曲は、シャ乱Qの『上・京・物・語』。

今でもこの曲を聴くと、当時のことが蘇ってきて泣きそうになります。

 

引っ越した翌日、先輩がアルバイトをしていたパチンコ屋さんへ、アルバイトの面接へ。

先輩の紹介だったので即決となり、翌日から働くことに。

 

そして・・・パチンコ屋さんのアルバイトで貯めた100万円を元手に、東京へと上京します。

 

お笑い芸人の夢が破れる

アルバイトで貯めた100万円を元手に、東京でアパート探しを始めました。

「東京の中心は新宿だ!」と勝手に思い込み、私鉄沿線のアパートを契約。

ここからお笑い芸人への快進撃が始まるはずでした...

radio-leaman-sasibou

 

まずはアルバイト探し。

警備員やポスティング、墓掃除など、やったアルバイトは50以上。

アルバイト先で出会った同僚と、お笑いコンビの結成を。

そして初めてのネタ見せのため、最寄駅で待ち合わせをしたのですが...

 

なんと相方は『バックレ』ました。

電話をしても「行きたくない」と・・・

先方のプロダクションにも平謝りの電話を・・・

 

この先どうすれば良いか?

悩んだがぼくが考えたのは『ピン芸人』になること。

 

自作で撮ったビデオを送ったり、他ジャンルのアーティストと組んでライブを行いました。

ピン芸人と、ピアノ奏者と、エレクトーン奏者のコントライブ。

今ふりかえると相当ヤバい内容でした。

 

上京から丸5年。

お笑い芸人を目指すことに、疲れてしまいました。

今さらながら自分は「表に出たい人じゃない」と思ったから。

これに気付くのに5年もかかるのかよ。

 

ラジオ番組制作の道へ

お笑い芸人の夢が挫折しても、生活をするためにアルバイトをしなければいけません。

そんな時、おもしろ情報サイトの『ライター募集』という広告が目に止まり、ライター募集に応募。

異色の経歴が認められ、専属ライターになることに。

 

情報サイトを運営してく中、運営会社の方針で『18禁サイト』を立ち上げ。

わたしが『18禁サイト』の編集長に抜擢されました。

サイト運営から半年後、運営会社が倒産...

またアルバイトを探すことに...

アイコン(落ち込む)

 

自暴自棄になっていた時、知人から声をかけられました。

 

「ラジオ制作をやってみないか?」

 

実はぼく、ラジオ好きでもなんでもありません。

全く興味も湧きませんでした。

 

しかし現実的に生活をしていかなければならないので、ラジオ制作会社の面接を受けました。

 

面接をしたのは制作会社の社長。

面接というよりは、面談を20分くらいしたころでしょうか?

社長から「うちで働いてほしい」。

まさかの即決での正社員採用。

アイコン(全身が燃えている)

 

こうして人生初の正社員となったのです。

 

ラジオ制作会社に10年勤務し退社~現在へ

ラジオ制作会社へ入社しましたが、もちろん業界のことなど右も左もわかりません。

 

ADとして放送前の素材の準備や編集、タレントさんのブッキング調整など、目まぐるしい日々がスタート。

アナウンサーと一緒に富士山に登って中継をしたり、船酔いをするくせにマグロ釣りの中継を船上から行ったり...

 

生放送中に流すCDを間違えたり、編集のミスなど、とにかく失敗ばかりしていました。

それでも何となくできるようになったのは、入社して4年くらい経ったころでしょうか?

 

後輩も入ってきたので、ディレクターとしてキューを振ることに。

野球、サッカー、バスケ、競馬など、主にスポーツ番組を担当していました。

 

しかしラジオ制作会社に入社してから10年目。

新型コロナウイルスの感染拡大。

 

ラジオ局でもリモートでの放送や、ブース内にアクリル板を設置しての対応。

緊急事態宣言中でも、番組制作者はスタジオから生放送を行わなくてはなりません。

 

コロナ過では自分の人生について、改めて見つめ直す方が多かったのではないでしょうか?

ぼくも例に漏れず、自分の人生について考えました。

 

「自由に生きていきたい」と。

 

2020年にラジオ制作会社を退社。

ちょうど入社して10年の一区切りでした。

 

番組を離れる際にはお手紙をいただいたことも(泣)

shinobu (1)

 

一緒に番組をやったパーソナリティの皆さまには、感謝しかありません。

今でもたまに近況報告をさせていただいております。

 

ラジオ制作会社を退社して現在へ。

 

そんなぼくが運営するブログ『ラジオファイル』。

 

「ラジオ制作を始めたい方」「個人で音声配信を始めたい方」。

そんな方へ役立てる情報を届けます。

アイコン(笑顔右向き)

 

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